平塚三嶋神社の『須賀のまつり』と同じく2014年7月19日(土)・7月20日(日)という日程で行われた、大磯町高来神社の御船祭。このお祭りも、海岸まで地域の神輿が降りて大集合するという点で、須賀のまつり、それから茅ヶ崎海岸浜降祭と共通している。つまり、奇しくも7月第三土曜日・日曜日・月曜の海の日という隣接した日程で、大磯から茅ヶ崎まで、相模湾沿いの隣接した地域で浜降りがあったということだ。
高来神社の御船祭とは
高来神社というのは、大磯丘陵の端っこの高麗山の麓にある神社で、その名前からの推測も可能であるように、高句麗からの渡来人伝説などとも結びつけられる面白い神社だ。神仏習合の時代には、高麗寺という寺院の下に神社が置かれ、高麗寺の本尊には、海から引き上げられたという千手観音が置かれた。この観音の引き上げ故事にちなんで行われる祭が、御船祭というわけだ。
御船祭の2種類の主役
御船祭では、故事に基づき漁師の漁船を模した船形山車が2台、2年に一度曳き回される。西暦でいうと偶数年が山車の出る年になっているので、今年2014年に行われた御船祭では、この船形山車が登場した。
船形山車が出る出ないに関わらず担がれるのが、茅ヶ崎海岸浜降祭の取材記事にも出てきたどっこい神輿。どっこい神輿は特に旧相模国で担がれることの多い神輿のスタイルなのだけれど、この神輿を”どっこいどっこい”という掛け声で担ぐ際に、”甚句”と呼ばれる唄が一緒に唄われる。そして、甚句の歌詞はその土地土地で異なり、”茅ヶ崎甚句”、”須賀甚句”、”大磯甚句”など、各地で固有のものとなっている。したがって、山車が出ない年でも、大磯甚句を目当てにこの御船祭を鑑賞する楽しみがある。まあ、御船祭という名前ながら山車より神輿がメインということは、実際に見に行って分かったこと。後述します。
御船祭リポート 宵宮編
2日間の祭の内、7月19日(土)に行われた宵宮の祭は、各地域の神輿が夕方から夜にかけて市街を練り歩くというもの。街中をお囃子を演奏する車が飛び回って忙しそうであった。
宵宮を鑑賞するには、基本的には各地区の神社に赴くか、街中で神輿に遭遇する必要があるわけだけれど、それ以外に観光客向けということなのか、大磯駅前ロータリーで4地区の神輿が合同でお披露目されていた。
大磯駅前に出ていたのは、大磯町の北本町・南本町・茶屋町・神明町という4町(字名)。それぞれ異なった形の神輿と衣装で、ロータリーを熱気満々で回っていた。
どっこい神輿の醍醐味は掛け声、神輿のたてる音、甚句などサウンド面が大きい。写真リポートではそれが伝わらないのが残念だ。
御船祭リポート 本祭編
7月20日(日)の本祭は、午前中の各町神輿の宮出しから始まり、それから大体12:00頃までに、大磯港にある各町神輿が一堂に会し式典を行う場所まで渡御となる。
先に紹介した2つの祭の浜降りと異なり、砂浜の上に神輿が集まるわけでないのが少し残念。殺風景なので、最初は式典会場とは別の神輿の仮置き場と間違えた程。
舟形山車は添え物という感も
目玉の船形山車は、国道1号の下道と西湘バイパス高架の間にある細い道を東西に曵かれる。会場までやってくる途中の神輿を前後に従えて曵かれるわけだけれど、それ以外の時は割と無造作に停め置かれている。大磯住人の人手はもっぱら神輿担ぎに充てられるわけで、山車の周りに人が集まらないというのは仕方が無いことだ。けれども、山車の披露と言うよりは、ただの虫干しのようにも見えてしまった。
それでも、山車自体の古めかしさや、山車の上で唄われる木遣り・舟歌などは雰囲気があって良いものであった。
神輿が最も盛り上がるポイント
会場入りする神輿は場合によっては近辺まで車で移動してくる場合もあるようだ。ただ、会場入り部分は人力で担がれ運ばれる(そうでなければ、神輿である意味がない)。
神輿は式典会場付近、西湘バイパスの高架下で一度進行をやめ、その場でどっこいどっこいと何度も揺らされる。そこが一番のお披露目場所ということになるだろう。
昔からのお披露目場所にたまたま高架が渡されることになったのか、あるいは丁度良いから高架下を使っているのかわからないけれど、日陰になっているので担ぎ手の熱中症対策にはなるかもしれない(笑)。
宵宮で見た4町は、ここでも合同で神輿を揺らして盛り上がっていた。本当にこの興奮は写真だけでは伝わらないだろう。
式典はあっさり。そして帰路は…
12:00に全神輿が揃って、12:10から式典が始まる。式典はあっさりしていて、担ぎ手も参加せずに休憩していることが多い。13:00からは神輿が各地区に帰り始めるのだが、帰り方も様々。担がれて帰る神輿は少数派なのではないかと思われる。
とは言え、帰路にも激しく担がれて帰っていく神輿は見られる。これには会場からの近さが関係しているのではないかと思う。
御船祭全体については、見るべきものの多い楽しい祭だと感じた。ただ、船形山車の扱いや神輿の帰路など、かつて繁栄した港町の大きな祭に対して、人的リソースが足りていないと感じてしまう場面もちょくちょくあった。
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