毎年の10月中旬、少し肌寒くなってきた頃に伊勢原市で開催される伊勢原観光道灌まつり。伊勢原市にゆかりのある偉人として、江戸城の築城をしたり足軽戦術の礎を築くなど功績があるものの、戦国時代の始まりよりずっと前に世を去ったためマイナーである武将、太田道灌をまつったイベントである。いやいや太田道灌はメジャーでしょうと反論もあるかもしれないけれども、関東地方以外での知名度たるやおそらく九州以外での少弐政資とどっこいレベルだ(個人の感想です)。
しかも伊勢原市との縁といえば、太田道灌が齢55のとき主の扇谷定正に招かれて騙し討ちされたのが伊勢原市であったというだけである。討ち取られた地の首塚・胴塚が名所となり、伊勢原市役所前には市ゆかりの人物として銅像まで建っているというのだからたちが悪い。世界一周航海の最中フィリピンのマクタン島で首長ラプ=ラプに討たれたマゼランも現地の祭の題材となっているが、その祭にしたって戦勝した側を讃えるものであり、敗者を取り上げてことさら傷口に塩を塗るものではないのである。
50回記念の伊勢原観光道灌まつり
というわけで今年50回目の開催を迎えた、伊勢原市の子供に「この祭にもなっている太田道灌って武将、さぞかし武士らしく立派な死に方をしたのだろうな」と興味を持たせそののち失笑させる祭、伊勢原観光道灌まつりである。
毎年恒例この祭のメインとなっているのが、小田急小田原線伊勢原駅周辺から国道246号までの長い道を往く太田道灌と北条政子のパレード。伊勢原大神宮前を経由するこの道は当日歩行者天国になり、此処に出店が沢山並びなにやら賑わっている感が出る。それに加えて今年は祭の50回記念ということで、1986年より伊勢原市と姉妹都市関係にある長野県茅野市より御柱祭で曳き回す御柱がやって来て、地元の方々によって御柱祭の里曳きが再現されるという。貴重な御柱を見る機会(そもそも本家にしろ6年に1回しか行われない)、悪天候を気にせず足を運んできた。
道灌まつり会場の風景
小田急小田原線を、伊勢原駅で下車する。パレードの行われる直前に現地入りしたのだが、やはり悪天候のためか改札がごった返すといったような混雑は見られなかった。
北口の大通りに出ると一転、雨にも関わらず結構な人出が集まっていた。天候がある程度良ければ登山や阿夫利神社参拝のついでという参加動機も理解できるが、この地味なファンの多さは何なのだろう。ヒマなのか。
沿道にある伊勢原大神宮でも、まるで社の祭日であるかのように人だかりが出来ていた。境内ステージでイベント(カラオケ大会?)が行われ、屋台が敷地を埋め尽くす。
例年の賑わいは知らないが、この大神宮前が御柱曳行のスタート地点となっていたため、茅野市からの曳き手の詰め所的役割も担っていたのかもしれない、
太田道灌公・北条政子行列パレード
さて12:20より始まったパレードの内容である。毎年男女1人ずつのゲストが呼ばれ、それぞれ太田道灌と北条政子に扮する。今年の道灌は俳優の北村有起哉さん、政子は女優の高野志穂さんで、道灌まつり始まって以来のご夫婦抜擢ということらしい。太田道灌は騎乗して鷹狩りに向かうという設定で、北条政子は市内古刹の日向薬師に乗り物に乗って参詣するという設定があるのだが、今年は悪天候のため2人とも乗り物に乗ってパレードという形がとられていた。どうでも良いがこの乗り物は鷹狩りと日向薬師のどちらに向かえば良いのか。設定が行方不明に。
いや役者さんは実際にご夫婦だけど。頼朝は出し抜かれてカンカンなのかホっとするのか。
茅野市からやってきた御柱
同じ大通りを使って、茅野市からやって来た御柱の曳行も行われた。長さ12mの御柱にメドデコと呼ばれるツノがつけられ、縄を使って引っ張られる。
曳行開始時刻になると、まず梯子が垂直に立てられ、消防の出初め式のような演目が。
やがて曳行が始まる。メドデコの上に人がギッシリと乗っかり、左右に大きく揺れた後、ラッパと太鼓のジングルに続いて御柱が前方に引っ張られる。この謎のジングルを聴くと、御柱祭だなという気持ちになる。
御柱は茅野市からやってきた人達(余談だが、会場アナウンスで茅野市が”カヤノ”市と読まれていた。”チノ”です。)の他にも、希望者があれば観客が参加して引っ張ることも出来る。結構えげつないスピードで動くので、最初から最後まで参加した人は大変だっただろうが。
50回記念の道灌まつり。御柱曳行が間近に見られて満足であった。次に御柱がやってくるのは市制施行50周年の2021年とかかな?
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