厚木駅と本厚木駅の違いって何?

まぎらわしい厚木駅事情

小田急小田原線の路線図を見ると、「厚木」駅と、「本厚木」駅があることに気付く。この2つの駅、一体どちらを本物の厚木と考えれば良いのだろう?
おそらく、正解は「本厚木」駅である。名前に「本」がつくからという単純な理由だけではなく、所在地が「本厚木」駅が厚木市にあるのに対し、「厚木」駅があるのは海老名市である。
何故こんな紛らわしいことになったのか。厚木基地事情と似たような事情の存在を感じさせるのだが、調べてみると、実はもっと複雑だった。

小田急小田原線本厚木駅

小田急小田原線本厚木駅

存在感の薄い相鉄厚木駅

実は、名前に「厚木」とつく駅は4つある。小田急小田原線の「本厚木」駅、「厚木」駅。それにJR相模線の「厚木」駅。そして残りが相鉄厚木線の「厚木」駅である。

相鉄厚木線という名前も、相鉄の厚木駅もどこの路線図にも乗っていないが、この路線は乗客輸送を現在行っていない路線である。が、かつては現在の相鉄本線の一部として、あるいは終着駅として乗客輸送を行っていた。この厚木駅が最初に出来、後々の面倒臭い事情を作り上げた張本人なので、この駅ができた1926年から経緯を追ってみよう。

厚木駅ができた経緯

現在相鉄本線となっている路線は、元々は相模鉄道(相鉄)の本来の路線ではない。現在のJR相模線を開業した会社が相鉄だったのに対し、1926年5月に二俣川〜厚木間の開業を行ったのは神中鉄道(じんちゅうてつどう)という会社だった。
神中鉄道は現在の海老名市に終点駅を作る際に、海老名という当時あまり知られていなかった地名を使わず、街道沿いの宿場町厚木の名前を使おうとした。そのとき厚木町が出した条件は、後に厚木町まで鉄道を延伸し乗り入れるというものだった。
同じ1926年の7月、相鉄が相模線を開業。神中鉄道の厚木駅の構内に同じく厚木駅を作った。
1年遅れて1927年4月、小田急小田原線が開業する。現在の小田急線本厚木駅を、「相模厚木駅」という名前で開業し、海老名市側には地名をとった「河原口駅」という駅をつくる。この河原口駅と既に開業していた2路線の厚木駅との間は、400mほどの距離があった。

本厚木駅という名前になった経緯

1929年、小刻みに営業路線を延伸することで有名な神中鉄道が、小田急線河原口駅の傍らまでの延伸を行い、厚木駅構内という扱いの中新田口降車場を開業した。
1941年には神中鉄道が海老名駅を開業し、小田急線との連絡が海老名駅で行えるようになった。そのため神中鉄道の厚木駅・中新田降車場の旅客利用が廃止される。
1943年〜44年の鉄道再編のおり、それまでの相模鉄道の路線を国鉄が引き取り、相模鉄道は神中鉄道を合併、現在の相鉄本線を営業路線とするようになる。
国鉄の所有となった相模線だが、それまでの河原口駅から400mほど離れていた厚木駅を廃止し、新たに河原口駅を「厚木」駅として利用することが決定する。したがって、小田原線の河原口駅も「厚木」駅に改称することになる。そして、相模厚木駅を「本厚木」駅とした。

このように面倒臭い事情だ。厚木基地の比ではない。現在の厚木駅(元河原口駅)が、時たま「偽厚木」駅と呼ばれるのももっともなことである。開業の経緯を考えれば、「暫定厚木駅」「腰掛け厚木駅」等と呼んでも間違ってはいまい。
あるいは、海老名駅が急速に発展してきた現状、厚木駅の名前を現在の本厚木駅に返却して、現厚木駅を南海老名駅とでも改称すれば良いのではないかと思う。

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