正月用に各家で用意したお飾りを、神社の境内などで燃やすどんど焼き。小正月の前後に行われるこの行事は、全国各地でいまだ残っており、行事に参加するためによその土地まで足を運ぶという性質のものではないかもしれない。
それでも大規模な、あるいは珍しいどんど焼きを行う地域では、それを観光用のイベントとしてPRして、客を集めることもある。大磯町で行われる大磯左義長はそういったイベントの一つであり、観光パンフレットなどでも大磯の代表的な行事として紹介される。
大磯左義長の概要と左義長までの準備
大磯左義長が行われるのは、大磯港の隣にある砂浜、大磯北浜海岸だ。この砂浜に合計9つのセエト(藁作りの塔)が立ちならび、正月飾りや書き初めとともに、日没の後に一斉に燃やされる。
だが、その前段階がいくつもあり、左義長の丁度一ヶ月前の12月8日には、地域の道祖神の傍らに置かれているゴロ石と呼ばれる石を子供達が持ち出し、家々の前でその家の願い事を唱えながら地面に叩き付ける一番息子と呼ばれる行事が行われる。そして、どんど焼きの数日前には道祖神の居場所に仮屋が作られ子供達がそこに籠もるならいがあったり、町の境に竹を立て、紐を渡して道切りを行ったり、道祖神を巡る七所参りが行われたりする。
大磯のどんど焼きはつまり、神社でお焚き上げを行ってハイ終わり、といったような簡略化があまりされていないどんど焼き行事である。ということで、行事のフィナーレのダイナミックさ以外にも、民俗学的に見るべきところが大変多い行事なのだ。
左義長当日 道祖神を巡る
大磯左義長の9つのセエトは、それぞれ町内9箇所の道祖神に対応する。大磯町全体で9箇所しか道祖神がないわけではなく、北浜海岸にセエトを立てる道祖神は、大磯でも下町と呼ばれる地域を中心としたものだ。
大磯左義長の当日には、ボランティアガイドの先導による道祖神巡りツアーが行われ、事前に予約を行って参加費500円を払えば各道祖神を巡り、地域の語り部から説明を受けることが出来る。説明は道祖神にとどまらず、大磯という地域の成り立ちや地形にまで及ぶ。当日の参加者には女性が多かったというのが印象的だった。さりげなくどこかでパワースポット的な取り上げられ方がされているのかもしれない。
道切りの真ん中にぶら下がっているのは、御幣を刺した大根であるそうである。何故そういったキャスティングがされているのかは不明である。
左義長の会場 セエトがスタンバイ
道祖神巡りツアーが終わっても、セエトに火が入れられる18:00まではまだ時間があった。当日はとにかく風が強い日であったため、海岸に留まっていると寒くて仕方がないのだが、火入れのされる前の完全な形のセエトを撮影することにした。
セエトの外周には、松飾りやダルマ、書き初めなどが設置されていた。セエトの頭に刺さっているのは色とりどりの飾りをつけた竹。おそらく子供達の仕事だろう。
存在感のあるセエトだけに目がいきがちだが、海岸ではその他にも行事に欠かせない準備が行われていた。まず、ヤンナゴッコと呼ばれる海中と陸との綱引き行事に使われる神輿のような飾り。実際に綱引きに参加する男衆はこの寒い時期にふんどし一丁で海に入るそうである。
ヤンナゴッコの橇?の後ろでは、棒の先に括り付けられた左義長団子を売っていた。左義長の火でこの団子を焼いて食べると、一年間無病息災となるらしい。この辺りは全国のどんど焼きで共通している言い伝えではないだろうか。
そして、セエトを見張るように道祖神が海岸に引っ張り出されていた。
どうやら豆腐と蜜柑を備えるものであるらしい。道祖神の言い伝えの中に、一年間の悪事を記録した帳面を一つ目小僧が回収しに来るのに対して、道祖神は帳面を火事で失ってしまったと答えるというものがあるが、一つ目小僧の好物(あるいは苦手なもの)として豆腐が挙げられることがあるので、大磯左義長にも豆腐が登場するのかもしれない。
磯汁のふるまい そして点火
一旦会場を出て食事処などを探していると、会場入口近くの歩道で磯汁の無料ふるまいを行っていた。
寒かったので、磯汁は大変有り難かった。同じ場所で焼肉や焼きおにぎり、ワンカップ(おつまみアブラッコ付)、玉こんにゃくなども販売していた。ここら辺のラインナップは大磯市でもよく見かけるものだ。
さて、会場では定刻を過ぎて点火が行われる。火入れはその年の恵方から行われるそうだ。9つあるセエトの内、撮影したい客のためにか一つはライトアップがされていた。暗がりに眺めるとまるでクリスマスツリーである。
火を入れると間もなく燃え上がり、強風にあおられて会場が煙と火の粉の飛散する絵図となった。セエト同士は結構距離がとられていたが、やはりこの海岸特有の強風を考慮してのものであったのかもしれない。
火の勢いが弱まって来ると、おのおの左義長団子を火の中に突っ込んでじっくりと焼いていた。あれだけ大きなセエトがわずか30分ほどで全焼してしまい、少々あっけなくも感じられたのだが、セエトが燃えている最中に、火を眺めているばかりで唄や掛け声がなかったからそのように感じたのかもしれない。外国人の客も多く見かけたのだが、左義長だけならばビジュアル的にはキャンプファイヤーとそう変わりないので、この後のヤンナゴッコまでしっかり見て帰った方がきっと満足度が高いだろう(私は時間の関係上見ることが出来なかった)。
左義長の準備から見学して、磯汁もいただいてというように楽しめたので、全体的にはとても満足なイベントだった。
コメント
浜辺でのどんど焼き!おもしろいですね。
鳥追いとしての行事というより純粋に賽の神、道祖神のお祭りなんですね。セエトは漢字ではどう書くんだろう?
一番息子(いいネーミング!)てのは長い筒状の石のようですが男根型なんですか?叩きつける!?イタタ
こんにちは!鳥追いの性質を強く帯びたどんど焼き行事については、実際の例を目にしたことがないため、ブログやツイートの内容を大変興味深く拝見させていただいております。鳥追いの小屋(鳥小屋?)は、雪の降らないところでは藁製の小屋を作って、もう少し北の豪雪地帯になるとカマクラに変化するという感じでしょうかね。
“セエト”は大磯町の左義長紹介ページでも、”セエト”で紹介されていたり、”サイト”で紹介されていたりするみたいで、”セエノカミ(塞の神)”の塔だから漢字で書くと”セエト(塞塔)”になるということかもしれません(大磯にお住まいの訪問者の方、間違ったら訂正してくださると助かります(笑))。
一番息子のゴロ石は、ただ中央にややくびれの入った石ということでモザイクをかけなくても掲載できます(笑)。”ゴロ”は五輪塔から来ているという説もあり、古くなった五輪塔型道祖神の頭を引きずり回したのではないかということです。確かに道祖神の傍らに、来歴不明の石がいくつも添えられているのを近隣でよく見かけますね。
ゴロ石を家の前でつくという動作については、確かに嫁たたきとの近縁性を感じないでもないのですが、ゴロ石の形状が男根との類似性よりもまず引きずり易さに特化しているということから、引きずり回すということがこの行事の主眼であるように思います。つまり、道祖神の「子供にいじめられ易い」「乱暴に扱えば扱う程良い」といった特徴の方がこの行事をよりよく表しているように思います。
あーでも、引きずり回したから現在の直接的でない形になったとも考えられるのか。本来の姿がよりシンボリックなものであったという考えにも、確かに説得力がありますね。