2017年4月22日(土)に、伊勢原市三ノ宮にある比々多神社(ひびたじんじゃ)で行われた例大祭の見学をしてきた。比々多神社、パソコンの変換でも出ないローカルな神社だけれども、延喜式神名帳(こっちは一発で変換できる!)に記載されている相模国内の十三社の内の一社で、相模国での格付け的には三宮にあたる。
国府祭の暴れ神輿で有名
一宮はともかく、二宮、三宮…といった旧令制国内神社の格付けが形骸化している地方も多い中で、相模国は格付け争い自体が国府祭(こうのまち)という毎年5月に大磯で行われる祭りで残り続けている。故事を模した神事の中で、一宮がどちらか争う寒川町の寒川神社と二宮町の川匂神社に対して、「決着は来年に先延ばししましょう」と仲立ちをするのが三宮比々多神社になる。仲立ちが出来るということは、相対的に冷静なキャラクターの神社として歴史に記憶されている、と思いきや、実はこの国府祭で各地からやって来る神輿の中で一番暴れるのが比々多神社のものなのである。比々多神社の暴れ神輿として国府祭に大きなインパクトを残していくのだが、「ヤートーサーセー、ヨイトコラサーセー」といった掛け声で神輿を左右に振り回し、ときには神輿を傾けて地面につかんばかりになる。
暴れ神輿を見に4月の例大祭に
その昔国府祭で暴れ神輿を見た際のインパクトが強く、本拠地の例大祭でもその暴れ神輿が出ると耳にして、興味が湧いた。というわけで伊勢原市の国道246号を北側に少し登ったところにある比々多神社に足を伸ばしてきた。
といっても、見学は大分かいつまんだものになった。宵祭と本祭がある中の、本祭。神輿の出立が13:00頃からで、還御が17:00頃になるというから、その神社の出入りをとくに見てきた。13:00前に神社に向かうと、神社の外に3台の人形山車がスタンバイ中。
境内は既に人だかり。神社の敷地に遺跡部分があったりしてスペースは一見したよりも広いのだが、そのスペースを隙間無く露店が埋めている。神社発表で露店は200程もあるという。本当に!?
神輿の出立。長い行列
担ぎ手は白丁の上に青基調の法被を羽織っている。内訳は三之宮地区の青年会(三和会)と、栗原地区の青年会、神戸(ごうど)地区の青年会となっており、それぞれ順番に手ぬぐいを掲げて境内に駆け入ってくる。法被の背中の文字が「三組」?と書かれたものと「神」と書かれたものがあって、栗原地区を示す文字のものは見つけられなかった。割合的に考えて、栗原地区の青年会も「三組」の法被を着ているのかもしれない。
13:00をやや超えて、境内に行列が展開される。先頭に立つのは比々多神社の提灯と旗。そして、天狗。
その後、箱3種類が続く。1つめは茂った榊を立てた箱。2つめは飾りの無いシンプルな長持のような箱。3つめは矛が立てられた箱となる。
行列の先頭が鳥居をくぐって外に出る中、神輿の本体が拝殿から出される。高さが足りないので、上部の鳳凰は付け外しして出る。
境内を出た神輿は神社の左手を暴れながら進む。その後土手のようなところで行列を整え、出発するのである。
神輿渡御の段取り
神社を出発してしばらく行列は形を保って続くが、まず例の人形山車が国道246号との間にある、東名高速道路の高架をくぐれないので脱落するらしい。人形山車の代わりに、トラックに乗せられた祭太鼓が随伴する。神社周辺の三之宮地区から神戸地区への境で担ぎ手の交代が行われ、また戻ってくる際には三之宮の担ぎ手に神輿が返される。神輿は暴れてほうぼうに激突しながら進むのだが、要所以外では担がず台車に乗せて移動もする。この辺りは時代の流れであろう。
ちなみに、神輿が居なくなった境内では里神楽が行われる。
神輿と人形山車の還御 危険な旋回編
17:00頃になると、神輿と人形山車が神社に還御のハイライトがある。
神輿が動き始める。例の土手(この言い回し、密かに気に入った)には進行方向を90度旋回して入らないといけない。神輿の場合にはそこまで難儀ではないが…
問題は人形山車である。土手の幅に対して余裕があるわけではないから落っことさないようにしないといけないし、高さも張り巡らされた電線に対してギリギリである。そして、ハンドルなどという高等な部品が取り付けられているわけではないので、縄で引っ張りつつ、本体を梃を使って浮かせて無理矢理旋回するのだ。
この旋回も還御の見所だと思うのだが、あまり見物客はいなかった(多分境内でちまきキャッチの位置取りをしている)。
神輿と人形山車の還御 おかえり&ちまきキャッチ
境内に帰ってきた神輿は、そのまま拝殿の中に入っていく。もちろん、出入りの際には鳳凰の取り外しを忘れない。
人形山車3台は、鳥居をくぐったり階段を登ったりが出来ないため、右手の駐車場の方から境内に入ってくる。
太鼓の演奏が止まると、いよいよちまき行事である。ちまきと言っても笹の葉に個別包装されたものではなく、笹の俵にぎっしり詰められたちぎり餅を、そのまま参加者に向かって投げる。当然地面に落ちると3秒ルールが発効するのである。
振る舞いの合図がされると、俵は中空に胴上げのように投げられ、ほどかれる。そして中から取り出した餅を青年達が容赦なく投げるのである。地面に落とすと汚れるからキャッチし易いように投げようという配慮など存在しない!
このちまきの御利益を求めて、還御の際の人だかりは一層凄いのである。
境内裏手では植木市が開催されていた。時代が変わり祭事が簡略化されようとも、市としての役割は変わらないのである。
比々多神社例大祭。暴れ神輿の祭としては、国府祭に参加する神輿と異なり簡略化されていない神輿なので地面にキッスするような暴れは見られなかったが、錫杖の音が鳴り響いて、神様の訪れとともに神輿が左に右に暴れ出すといったカタストロフは充分味わえたので満足。
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